「ペイパーポストは従来から存在してきたもの」に感じる違和感
論点はまったく違いますが、たまたま今読んでたので「検索エンジン会社がWebのルール作りをする日 〜Google独裁への布石〜 – キャズムを超えろ!」を引用させてもらいます。
PPPという手法そのものは(SEO効果面を除けば)雑誌の記事広告やテレビ番組におけるプロダクトプレースメント、テレビ番組や雑誌で「使ってみたらすごくよかった」なんてコメントしている芸能人や局(制作会社)に雇われたサクラと同じであり、従来から存在してきたものと変わらない。
という意見が、いくつか他のブログでも書かれているのを見ました。
確かにそうかもしれません。しかし、個人的には「従来から存在してきたものと変わらない」という感覚がいまいちしっくりきません。サクラと同じと言われたら確かにそうなんですが。
そんなに世の中にあふれてるのか。
雑誌やテレビはマスメディアで、ブログは個人メディアだという違いのせいかもしれません。マスメディアは数に限りがあるけど、個人メディアは数に限りがないとかそういう違いのせいかもしれません。
マスメディアから発信されている情報が実は広告だと気づかない場合があるように、個人メディアの情報でもそれが広告だと気づかない場合があります。無数の個人メディアにそういうものがあふれ返ったらどうなるか。
ていうかすでにあふれ返っている今どうなのか。
本当に「昔からある手法」として片付けていいのか。特にブログは一般の人が書いていて、つまりそういうマーケティングに一般の人が簡単に関わるようになっているわけで。
「ドリームニュースってかなりのペイ・パー・ポストやね」で言及したドリームニュースも「ブログを一つのメディアとして捉えている」と明言していますが、ブログを「個人メディア」と捉えるならなおさらしっかり考えないといけません。
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