志村けんのブログに感じていた哀愁の正体
志村けんのブログ「ken’s blog: 志村けん公式ブログ」をRSSリーダーで流し読みしていると、妙に哀愁を感じる。
あのドリフターズの志村けんなのに、おもしろおかしいところもなく、感じるのは哀愁である。この雰囲気はどこからくるのか。三日三晩考えてあることに気がついた。それは、
句読点がない
ということだ。意図的なのかめんどくさいだけなのかは定かではないが、志村けんのブログの文章には句読点がほとんどない。句読点がない文章なので、それは詩のような印象を与えるのだ。
実際に句読点があるエントリーと句読点がないエントリーを数えてみると、句読点があるエントリーが33個だったのに対して句読点がないエントリーは58個だった。句読点が入ってたり入ってなかったりするものはなんとなくで分類した。全体で見ると約64%のエントリーに句読点が入っていないが、実は最近のエントリーはほぼ100%句読点が入っていない。
句読点があるかないかでどのように印象が違うかは、実際に比べてみるとよく分かる。
句読点がある – http://kenshimura.livedoor.biz/archives/50305246.html
句読点がない – http://kenshimura.livedoor.biz/archives/50677776.html
この印象の差が、私が感じていた哀愁の正体。しかしこれが本当の志村けんなのかもしれない。
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